2009年8月9日日曜日

今井町/歴史的街並み/橿原市/奈良県

imai lighting festival

伝統的なまちなみの残る橿原市今井町地区が、今年発のライトアップイベントにチャレンジする、という情報を得て出かけてきました。

ライトアップイベントといえば、観光地ではもうお馴染みになっており、揃いのカップに水や砂を入れ、そこに小さなキャンドルを入れて点火するという仕組みが定着していますね。地区によっては、そのカップをカラーリングしたり、子供達の絵で飾ったり、地元素材の竹や和紙でつくったり、といった工夫もなされています。これを沿道や広場に並べるのが基本的なイベント手法ですが、場所によってはこれにコンサート等の付帯イベントを絡ませるという方法をとられることもあります。

しかし、私達が暮らす明日香村でも随分前から実施して、年々エリアを拡大して、内容も華やかに展開されていますが、傍目に見ると簡単な内容ではあるけれど、いざ実施にこぎつけるまでには様々な紆余曲折があるものなのです。まずは、地元に対して「まちなみ(まちなか)観光」の意義というものに対する理解や合意形成をどう図っていくか?という大きなテーマです。

明日香村のような場所であっても、村人にとっては「観光地」とは「寺院や遺跡のある場所そのもの」のみであって、そこに至るまでにある自宅やその周辺を「観光地」であると意識している人は非常に少ないわけです。それだけに、「地域の活性化につながるからといって、なぜ自分たちの生活する場まで、人に見せるためにとりわけ意識して美しく演出しなければならないのか?おもてなしなんて、観光施設だけで十分でしょ?」という感じ方があるわけです。

そのような一般的な考え方を知っているだけに、「タウンツーリズム」の意義に対して、広い理解を得ることは本当に難しいことだと思うわけです。

次に、「火を使うなんて、普段でも街路幅員が狭くて、緊急車両の通行もままならない地区で大丈夫なの?」という不安にも対処しなければなりません。おまけに沿道街路の官民境界ぎりぎりにキャンドルポットを並べるとなると、沿道に駐車場を持っている方からは、「開催中に自家用車を出し入れするのに不便じゃないか?」という疑問も生じてくるでしょう。そこで、安全を確認するスタッフを常時確保して対処する、という対策が必要となるわけです。

おまけに、「自宅やその周囲は、各世帯で設置・点灯・消化のご協力をお願いします!」となると、再び話は「都市観光の何たるか?」の議論に戻ってしまうわけですね。巷で実施されているまちなかのライトアップイベントとは、概ねこのような紆余曲折を経て実施されているわけで、経験者としてはその大変さが身にしみています。

そしてイベント当日、今井のまちなかを巡ってみると、まずは「水路を彩るキャンドルの美しいこと!」

普通はまちなかの小さな水路なんて、あまり見向きもされない存在ですが、ライトアップにより、まちに涼を運んでくれる貴重な存在であったと見直されるわけです。水面に映り込む灯りの穏やかな揺らぎも風情があるし、静けさのなかに水のせせらぎを聞くと、とたんに蒸し暑さも忘れてしまいます。おまけに手作りの硝子でできた風鈴やぼんぼりが木々から吊り下げられ、ちょっとした床のような空間もでき、地元の伝統である茶会が催されるとなると、「今日は近所やけど浴衣着ていこか!」という気分にもなります。

実際に訪ねてみても、往来で出会う人のほとんどは今井町やその近所にお住まいの方らしく、「こんなにきれいやったなんて、知らんかったわ!」「この時間に、こんなに人の姿見るなんて、はじめてや!」という感嘆があちこちから聞こえてくるわけです。ライトアップに併せて、地元のお寺では冷やし飴と冷やし甘酒の提供があり、沿道の軒先では「もう冷やし甘酒もろてきたか?おいしかったよ~!」という会話が方々から聞こえてきました。また、昼間は資料館になっている町家では地元の方の「おはなし会」があって、子供さんを連れたお母さんやおばあちゃんが集まってにぎわっており、これが終わる頃には、「まちがえらいきれいになったから、今日はここで孫に花火さしたろ、と思って」と花火セットを持ち出してお孫さんを誘いに出かけるおばあさんの姿も見かけました。

こうして、どの家でも玄関口に人が集い、往来に人がたまり、語らい、また近所のそぞろ歩きを楽しむという、素敵なシーンが展開されていたのでした。

聞くところによると、実験的な試みのためにまちの導入部にあたる箇所だけで実施されたとのことで、一部には「平等にまち全体でやってみては?」という声もありながら、「空地や空家の多い地区の管理はどうなる?」という問題もあり、今回の実施箇所が決められたとのことです。

それにしても、このような様子を見聞すればするほど、「都市観光」や「地域活性化」という大義名分など後回しにして、このようなイベントの効果とは、地元で暮らす人々が楽しめればそれが一番なんだ!と実感するわけです。

来訪者の私達も、そこで暮らす人に出会い、イベントを楽しむ姿を垣間見る方が心和むというものです。

ビジターをもてなそう!喜ばしてやろう!と仕掛けられたイベントより、地元住民が思わず「やってみたら、はまってしまった!!」イベントを体験する方が面白い!これが、これから長続きするイベントの秘訣なのかもしれませんね。

2009年3月17日火曜日

原則と例外

現在所属している会社が大きな組織のため、原則論にはかなり厳しいものがあります。

私が常に直面する(些末なことですが)のは、1分でも定時より遅刻すれば、理由書を書いて給与から差し引くというもの。基本的に私は数分オーバーの遅刻の常習者です。しかもたまにバスが事故や渋滞の影響で定時より遅れて運行していた場合、「バスの営業所(かなり辺鄙な場所にある)にその証明書をもらってこないと遅参扱いにはならない」とのことで、面倒くさいのであきらめたりしています。
仮に早朝から子供の通院につきあって、定時より30分から1時間程度遅刻して出社し、仕事が気になるのでそのまま業務に就いたとすると、今度は遅刻としてその時間を給与から差し引くのではなく、「15分以上の遅刻は、半日休暇をとったことにしてくれ」ということになるわけで、かなり理不尽なものを感じています。

まだ契約社員になってからはかなり緩和されたものですが、派遣社員の時代には、「残業すると派遣会社にかなりのフ
ィーを要求されるので(正社員の残業代と比べると高いのでしょう)、残業申請しないでほしい。しかし仕事を片づけるために残ってくれるのはいくらでも構わない」というものでした。
中には子育てを両立させながらも規定通り遅刻なくやっておられる方もいるので、それは理由にならないのでしょうが、逆に残業の場合は、「定時は17:40で、残業のカウントは17:55から!」となるわけで、その間の15分は基準法通り休憩をとれ!と指導されているらしいのです。

しかし、残業しないと仕事がこなせないくらい忙しい人間が、その15分を言葉通りに休憩に使うものでしょうか?

というわけで、ほぼ毎日15分のサービス残業をし、さらに19:00を超えそうな時は夫と子供に、「遅くなるけど夕飯を待っていて」と連絡し、20:00までに帰って食事を作ろうとタクシーをとばして買い物して帰るのですが、それより遅くなりそうな場合は、「外食でもよいから先に食事をしておいてほしい」と依頼し、仕事をこなしています。

年が明けてからは毎日がそんな状態ですし、年内でもそんな日が多々ありました。休日は、社で受託しているホームページの取材に追われ、仕方なく子供を連れて行くこともありました。それでも仕事に魅力を感じ、組織に信頼を感じられれば、夢中でいられるものです。

しかし、結果的には仕事で疲労やストレスをためるだけでなく、家庭への申し訳なさからもあれこれと憂鬱な気分をため込み、子供は度重なる外食によって家庭の温かさを忘れかけ、残ったのは体調不良と、それでも病院に行けば「体弱いのか?前のようにしゃんとしていないのはなぜだ?」という上司の無情な叱責のみ。

いつの間にか、もうひとり子供が欲しい!という夢も諦めてしまいましたが、物心ついた子供が、「きょうだいがほしい!」というのが、本当に心苦しく感じられもするのです。

こうして昨年の2月頃より、「仕事は好きだが、この組織には馴染めないから、辞めざるをえない」という思いを上司に伝えながらも、

「このまま辞めたら、君の先の人生にとって良くないのは君自身がよくわかっているはずだ」と、抱えている仕事への責任感をうまく利用された格好になり、さらに新規業務の担当が決まってしまったこともあって、結果的にまた季節が一巡りしてしまいました。ようやく、交渉と仕事を終息させるための努力を続けた結果、ようやく何とか今月末で一区切りがつけられそうです。

表向きは「子供の入学を機に実家に帰り、生活を一新したいから」ということですが、これまで通り仕事を続けたいという気持ちに変わりはありませんから、即就活を実施します。

会社としては、「業務遂行に必要な人材だから、辞めないでほしい」と言ってくれるのですが、原則論ばかりが表に出て働きづらい状況では、また多くのものを犠牲にしてしまうことでしょう。もう私は、そういうものごとに縛られて、後悔したくないのです。

基本的に組織の中では、派遣も契約社員も助っ人外人選手的な存在であり、「金を払ってるんだから、それ以上の成果を上げよ!」であり、当然私たちはそういう批判をされないように、よい働きをしようと懸命になるわけです。その結果、いずれ欲しいと願っていた子供や結婚自体も諦めようとしている人がいかに多いことか!その結果、困ったときには組織的な原則論で切り捨てられ、それまでいかに業務遂行や効率よい売り上げに貢献していたかという評価は行われないため、例外措置もない。

なかにはねぎらいの言葉をかけてくれる人もいますが、それより悲しい言葉を聞く機会の方が多すぎる日々にうんざりしてしまいました。
あまり書きすぎると諸々の支障が出ると思い、ほんの少ししか書くことができないこともストレスのひとつであります。世の中、そういう組織ばかりではないという希望を抱きながらも、心中は一匹狼が向いているのだと納得しようとしている今日この頃です。

2009年2月20日金曜日

景観まちづくり資料及び教材

景観法制定後、「景観まちづくり」という言葉が市民権を得つつありますが、国交省から行政向け、学校(小中学校)向け、そして市民一人一人向けに「景観まちづくり」の概念や取り組み方法を解説した資料が提供されています。

景観まちづくり教育

近年、地域の個性や潤いのある生活環境と密接に関わる景観をよりよくしたいという気運や活動が高まっています。そのような社会的な状況を背景として平成16年に制定された景観法は、誰もが景観まちづくりに積極的に関わる責務があると定めています。観まちづくり教育は、ひとりでも多くの人が積極的に景観まちづくりに関わるようになってもらうための取り組みです。ぜひ、みなさんも、魅力的な景観まちづくりの推進に向けて景観まちづくり教育に取り組みませんか。(以上、国交省サイトから引用)

2009年2月6日金曜日

実況中継・まちづくりの法と政策


一般的な生活者にまちづくりに関わる法制度や政策をわかりやすく解説した名著です。

公害や再開発訴訟を専門に手がける弁護士である著者が行った、愛媛大学都市法政策の集中講義(4日間各4限実施)の模様を再現した本書は、一般的な生活者にもわかりやすく建築や都市計画に関連する法規制を解説し、また個人の権利や生活に不利益を被る場合の対処の仕方等について教えてくれる名著です。

私は文学部出身のため、学生時代に建築や都市計画に関する専門的な知識を得ることがなく、実務に携わりながら必要な部分毎に学んできたこともあって、体系的にわかりやすく整理された本書が非常に新鮮なものに感じられました。講義内容をそのままとりまとめた形式のため、話を聞かせてもらっているようにスラスラと身に馴染んでくるところも魅力です。

著者曰く、「日本の都市に関する法制度は難解きわまりない。官僚がわざと迷宮のラビュリンスを張り巡らせて制度を市民から遠ざけ、自分たちのテリトリーを確保しようとしているとしか思えない。しかし、難解だと嘆いているだけでははじまらない。」

建築や都市計画の法制度といえば縁遠く感じられるかもしれませんが、あらゆる生活者がまちづくりの当事者であり、何らかの形でこれらのシステムに関与する可能性があるのです。私としては、専門的な知識を仕入れて行政や開発者と戦えという意味ではなく、自分の身近な生活環境をよりよいものにするために知っておいた方がよい知識が一杯詰まった一冊として、市民の方々に本書をお薦めすることが多々あります。
(2004.10.23初稿)

現在、Part.4まで刊行されているようです。
(2009.2.6追記)

日本の伝統色と伝統文様

粋屋・日本の伝統色と伝統文様

個人のサイトだが、日本の伝統色や伝統文様に関する豊富なデータベースがストックされている。

(サイト前文から引用)
日本の伝統文様(和柄)と伝統色についての解説のホームページです。和風・和柄デザイン・ホームページ背景素材・POP・DTPに利用できるようパターン化した文様・和柄素材をGIF・EPS形式で掲載するとともに和な雰囲気で配色できるよう伝統色のRGB・CMYK値と色見本を紹介しています。ウェブ・グラフィックはたまた名刺のデザインなどにご活用戴き、日本の伝統美を広めて下さい。